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januar 2012

måndag 30. januar 2012

週末の音楽

本番が終わってから、楽器は吹いてないんだけどね。でも、音楽からは離れていないよね。実際、生活に関わる多くの音楽について、CD聞いたけど。

・プロコフィエフ 悪魔的暗示
・ドビュッシー 仮面
・リスト ルタンのロンド(グノームの踊り)
・シュトラウス 7つのヴェールの踊り
・シューベルト さすらい人幻想曲
・バッハ いかに汝を迎えん(クリスマス・オラトリオ第一部より)
・ビゼー アルルの女より終幕の情景

あとは、CD整理かな。収納が大分、散らかっていたので。

問題は、Bal's CDBへの入力が滞っていること。

そういえば、溜まっていた音楽関係の番組の録画も見たね。題名のない音楽会、新生チャイコフスキーコンクール、サイトウキネンオーケストラ。

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週末の練習

最近は、本人でたんたんと練習してもらっている。

ハノン、ツェルニーの40の20番台の不規則連符とトレモロの二つ、バッハの三声のD-Dur(一向に進まない)。

バッハのフレージングが大いに気になる。フレーズが拍の頭を起点として捉えられるのが気になる。大体、バッハの曲というのは小節の頭の音は、前のフレーズの最後の音であり、その次から音楽が始まると思うのだけれど。で、これにより、着地しない活き活きとした音楽を紡ぎだすのであって、後世のクラシックの曲でも、ときどきお目にかかることであると思うのだが。

そして、先生から課題の出ていたベートーベンかモーツァルトのソナタだけど、最終決定に向けて、グリモーのCDでイ短調のソナタを聞かせたけれど、ピンと来ないらしく、結局、自分の趣味とページ数でベートーベンのハ短調(5番)を選んだようだ。先生は何というかな。この曲は、比較的簡単だよね。速いパッセージは第2楽章にだけ出てくると思うけど。

ところで、日曜の夜、どういうわけか、グリーグのCDを自主的に聞いてたらしい。何故だろう?Balの頃は、もっぱらクラシック音楽はFMとそのエアチェックで聞いてたけどね。その方が、自分の知らない曲をたくさん聞くことになると思うんだけど。親のCDライブラリを聞くってことは、親の興味以外の曲は聞く機会がないということじゃないの?

実際、うちには月光ソナタだのというメジャーなソナタのCDは無いし・・・。

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torsdag 26. januar 2012

祝!特選盤選定

実は、原田さんのシューベルトのCDは大分前に買っていたのだけれど、シューベルト・チクルス Vol.9で生で聴いた21番のソナタの体験を大事にしたくて、聞いていなかったのだ。

けれど、レコ芸特選盤に選ばれたということで、レコ芸の批評を読み、良く知らなかったのだけれど、レコ芸って特選盤を連発するわけでもないようなので、やっぱりこれは聞かないとと思って聞いたのだった。

(CD情報)
Harada Hideyo, Schubert, Wanderer Fantasy, Sonata #21, B-Dur, D.960, Audite

さすらい人幻想曲、鮮烈な出だしに驚きました!はじめの数小節で聴衆を捉えるというのは、こういうことを言うのでしょう。先ず、1小節目の和音の響きが違います!そして、2小節目に駆け上がるアルペジオが違います!そして、なんということでしょう、18小節目からppで再現される主題は、ppの従来の意味を、根底からくつがえすようなppです(ちょっと大袈裟だけれども、Balとしてはそんな感じ)。そして、そのあと、譜割りから離れた「音楽の再現」として、弱音による和音の応答が訪れるのです。

このあたりまで来て感激することは、従来の原田さんの演奏に垣間見られた「原田節」というのは一切無くて、原田さんのエッセンスが昇華されたものがこの演奏に入っているということ、それを通して原田さんにお会いしているというところが、あ〜、原田さんはどんどん昇って行くんだな、というところが、嬉しくもあり、寂しくもあり、悔しくもある、というところでしょうか。

あと気づいたところは、録音も素晴らしく、楽器も素晴らしく、その響かせ方も素晴らしいのですが、こんなに素晴らしくしちゃって良いのだろうか?シューベルトは果たして頭の中にこんなに素晴らしい音響を描いていたのだろうか、というあたりですかね。ウィーンのシューベルトの生家の、あの天井高のあの部屋、そして、あのピアノを記憶から取り出したとき、ここまで素晴らしくしちゃって、シューベルトに対して手厚くし過ぎちゃっていいの?演奏家って仕事は凄いです!

ピアノソナタの21番も、言わずもがな素晴らしいです。例えば、第1楽章、主題を、提示部で演奏する意味と目的、再提示部で演奏する意味と目的、そして、展開部後の再現部で再度演奏する意味と目的、が、それぞれよく性格付けられ、そして、それを具現化する方法とテクニック!

原田さんがおっしゃる、私は楽譜に書いていないことはしていない、楽譜はシンボルを読むものである、反復は使うものである、この辺りの実践といっては表面的なんですけど、それらの考えを通して、作品の演奏として大きくまとめあげたものが、ここに在るのだ、という大きい感銘を受けます。

さて、最近、原田さんをキーワードとしてインターネットをサーチすると、ヒット数が前に比べて、どんどん増えているような気がします。日本国内もそうだし、また海外のサイトを含めて、原田さんの演奏への感激が綴られたページにお目にかかることが増えて来ました。

今回のシューベルトのCDは、間違いなく、今後の原田さんの業績が、歴代の大ピアニストに偉業の系列に入っていくということを位置づけるものであると言えましょう(私的な一支援者として)。

ということで、さすらい人幻想曲の冒頭が、頭の中で、ヘヴィロテ中 :-)

さて、4月のスカルラッティアーナの演奏会に行っても、もうサインしてもらうCDが無いんですけど。;-)

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tysdag 24. januar 2012

平日の練習

昨日は、練習する目標が無くなって、大変、寂しくなった。

「私の目標を取り上げないで!」という感じ。

親の手から子が離れていくのも、そんな感じなのではないだろうか。

親は、育てるものがあるから生きていられるのである。

ということで、次なる目標は、七つのヴェールの踊り。

さっさと、スコアを入手して、頭の中にある各パートの音を確認しようw

ユーロが安いうちに買っておけばよかった・・・。

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平日の練習

本番の次の日に、レッスンがあったようである。

先生は素晴らしい!早速、本人に目標を与えてくれた。

「ベートーベンのソナタあたりはどう?」

前々から、ベートーベンのソナタをやってもらいたいとは思っていたのだけれど、なかなかね、身内から言われてもね、本人が乗り気じゃなかったんだよね、先生に言ってもらえて、ヨカッタ、ヨカッタ。

「先生からベートーベンのソナタはどうって言われたよ!」と本人から、意気揚々と電話があった。

早速、Bal家にあるベートーベンのソナタのCDを、自力で見つけ出し、片っ端から聞いているようだ。

自力で見つけ出したというところが、嬉しくもあり、寂しくもある。

って言っても、Bal家には、ベートーベンのすべてのソナタのCDはね、無いんですよね。

先生は「月光の第3楽章はどう?」と言って、レッスン室で本人に聞かせてくれたようだが、本人は、あまり乗り気でないということだ。なので、本人は、あれだのこれだの聞いているわけだが、何を選ぶか楽しみ〜。

先生は、正確には「ベートーベンとかモーツァルトあたりのソナタはどう?」と言ったらしいのだが、本人曰く、モーツァルトのソナタはあまり興味はないようである。イ短調の第1楽章とか、聞いたら気に入ると思うんだけどな。

ということで、今週中には、次の目標が決まるのではないかと思う。そして、週末あたり、これ選んだんだけどどう?と聞いてくるに違いない。

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måndag 23. januar 2012

終わった

終わった。

拍手を聞いたとき、あ〜、聴衆は適度に楽しんだ程度なのだ、とがっかりした。

でも、仲間とのアンサンブルは良く頑張ったと思った。一丸となって演奏した。うちの団の特長である。

個人的には、小さい頃から憧れていた曲だったので、虹の中を歩くようなものなわけである。大体、虹の中を歩くときは、あっという間である。

終わってみれば、どうだったかというと、不満足な点があったように思う。

作曲家の問いに、どう答えるか、それを、指揮者と会話し(もちろん音楽の上で)、奏者間で会話し(もちろん音楽の上で)、その中で、自分を高めて行き、物理的な音に結びつけることが、演奏なのではないかと思うのだけれど、そこには至ってなかったように思う。

そういう苦しみの過程が本番の質を高めるのだろう、ということを、また一つ勉強したように思う。

その証拠に、昨日は、マ・メール・ロワの演奏が、評価が高かったようである。この曲は、指揮者が最も気を使ったようだし、奏者も、管楽器はもちろん弦楽器も、大変、気を使って演奏したようである。

そんなことを、二つの終わったを通じて、思った。

さて、海に戻ると、ステージ上で海を演奏できるとは、大変、有り難い思いをした。確かに、虹の中を歩きました。

ありがとうございました。

.p.s.
二楽章の頭のソロで、「この調は、『金色の魚』で使った調と同じだから、金色の波を表現するのだ!」と思っていたけど、本番では、すっかり忘れていました。楽譜に「金色」と書けばよかった。

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終わった

終わった。

本人は、悔いはないと言っていた。しかし、大した評価はなかったようだ。

楽しく演奏しているときは、評価はあまり良くないのだ。

もちろん、魂をつめて回りを見ずに演奏されてしまうのも、観客にとっては面白くない。

響きをどう捉えているか、音楽をどう捉えているか、そして、それをどう見せようとしているか、まで至って、観客は安心して、楽しく聞けるものだ。

自分から芽を生やすまで、いろいろ刺激を受けてもらおうと思う。

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fredag 20. januar 2012

平日の練習

今週は、火曜日からカラオケ屋通い。

これ以上リードを大幅に触るのはやめようかな。納得いってないところあるけど。

昨日から雨雪降って、湿度高くなってるんで、このまま本番の日まで、どうなるか?ってのもあるし。

一昨晩、ジョン・マック(John Mack)のオケスタ Orchestra studyのCD聞きました。海入ってるんです。

やっぱ、ジョン・マック違います。演奏に薫りが立ちます。フランス音楽に対して、ジョン・マックが何を考えているか、っていうか、演奏とは何か、クラッシック音楽という文化は何か、みたいな。

奏者が何を考えているのか、頭の中にどういう情景を描いているのか、というのが大変、重要だと感じました。

だから、全く音のないところに行ってじっくり考えたいのに。都会はうるさいです。

ところで、喉が痛くなって、熱がちょい上がり気味です。ピンチです!今日の練習は1時間でやめとこう。

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torsdag 19. januar 2012

スカルラッティアーナを巡って

そもそも、何故、プルチネルラが生まれたかという元を辿れば、トマシーニの陽気な貴婦人たちLe donne de buon umoreに行き着くらしいのである。で、この曲も実は、スカルラッティの曲に基づいているわけである。

そうして、古い曲を編曲してバレエ化することが流行りだして、ストラヴィンスキーにもペルゴレージ(実はガロとか、ヴァッセーナル伯とか)の曲をバレエ化するように依頼を受けたところ、ストラヴィンスキーは依頼を上回る素晴らしい作品が後世に残ったということである。

で、実は、プルチネルラの影に隠れてしまった作品がいろいろあるのでして、その一つが、カゼッラのスカルラッティアーナだと思うし、マリピエロは、ラ・チマロジアーナLa Cimarosianaとか、ガブリエリアーナGabrielianaなどという曲を作っていて、悪ノリもいいとこだと思う。

で、面白いことに、レスピーギもチマローザの「女の悪企み(女の手管)Le astuzie femminili」などという、ダイバーシティ時代には考えられないタイトルのオペラを再構成したりして、当時は、イケイケドンドンだったことがわかる。

レスピーギにしたら、古い曲を蘇生させる気概の中で、行ったことだと思うけど、リュートのあれや、鳥のようには、スポットライトを浴びていない。

まぁ、そう似たような趣向の作品があまたある中で、プルチネルラの二番手は何かというと、どうやらカゼッラのスカルラッティアーナのような気がする。その理由は、イタリアには大したピアノ協奏曲が無いので、もしイタリアの作曲家の作品でピアノ協奏曲を選ぶとしたら、このスカルラッティアーナくらいしか浮かびあがってこないのではないかと思うからである。

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グレンジャーGrainger とカゼッラCasellaのつながり、ドビュッシー DebussyのジーグGigueを介して

グレンジャーのThe Keel-row(舟を漕げよ)という曲を聞いて、どこかで聞いたことがあるとは思っていたのだけれど、良く思い出せないでいました。で、昨晩、ドビュッシーのジーグを聞いていて、やっとつながりましたw

このThe Keel-rowという曲は、イギリスの民謡で、グレンジャーはピアノ重奏に編曲してくれました。手元にあるCDは、CHANDOSのグレンジャー全集に入っているもので、5人で弾いています。どうやら3台で弾いているらしいです。この曲は、最後の方で、ピアニスト達が口笛も吹くという、面白い曲です。

で、この民謡はどうやら有名らしく、インターネットをサーチするとかなりいろいろヒットします。

手持ちのクレメラータ・バルティカの"Happy Birthday"のCDの中の、"McMozart's Eine Kleine Bricht Moonlicht Nicht Musik(マクモーツァルトのアイネ・クライネ・ブリヒト・モーンリヒト・ニヒト・ムジーク)"(Teddy Bor作曲)にも出てきます。

もちろん、どうしてドビュッシーのジーグを聞いていたかというと、去る理由でドビュッシーの海を復習中で、ジュリーニ/ロスフィルのCDの次の曲が、ティルソン・トーマス/ボストン響の映像だったので、ついでに聞いていて、はたと気が付いたのです。

ところで、このジーグは、または、このジーグの中間部の主題が、The Keel-Rowの変形だと思われるのですが、この変形されたものを、カゼッラがピアノの作品に引用しているのです。

その作品は、子供のための11の小品11 pezzi infantiliでございまして、その中のジーグという曲でございます。

カゼッラは何故、The Keel-Rowそのものではなく、わざわざドビュッシーが変形したものの方を引用したのでしょうね?

まぁ、それはおき、さらに、どうでもいいことなのですが、Balの中で、カゼッラとグレンジャーがつながり、ややうれしくなったということなのでございますm(_ _)m

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måndag 16. januar 2012

週末の練習

いよいよ次の日曜日が本番である。

日曜の合奏で、1月に入って作り始めたリードを使ってみる。そんなに悪くないのだが、これを使ってしまっていいのか、というところが不安。

というのも、次の候補のリードは、軽くしていくところなので、軽くするのが失敗したらどうしようという不安がある。

といっても、日曜に使ったリードも、なんとなくしゃりしゃりとしているので、触らないといけないのだけれど。

で、やっぱりソロの出来の再現性が心配。今週は、平日の練習も力入れて、クオリティの向上および再現性の向上に執心する。

最後の一週間にかける!

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週末の練習

いよいよ次の日曜日が本番である。

ハノン、ツェルニー、バッハと、通常の練習はルーチンライクにて、本番の楽曲については、本人も大分、気合と焦りが見え始めたようである。

自主的に同じところを気が済むまで練習するものの、再現性の確度があまりよろしくないところもある。

本番の日のプログラムも発表され、前後の演奏者も気合の入った選曲で、一週間前から武者震いが始まりそうな気配である。

第三者観点からすると、練習箇所や練習方法を自主的に決めて、なかなか良い感じだと思う。

最後の一週間にかける!

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torsdag 12. januar 2012

三部作

リードを削りながら、今まで、聞いていなかったら、三部作(プッチーニ)のCD聞きました。EMIのパッパーノのロンドンのCDです。

外套のラストなんですけど、まるで、スプラッター映画に出てくるような、怖〜い叫び声で、これは心臓に悪いです。

アンジェリカは、ピアノ2台の使い方が、本当にもったいないと思います。

ジャンニ・スキッキは、はじめCDを聞く前に、楽譜で一生懸命ソルフェージュをしたので、イントロのシンコペーションの動機を、半拍ずれることなくシンコペーションとして認識することができました。あ〜、よかった。

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連休の練習

金曜の夜、ダメ押しでリードを巻いた。

土曜日は、カラオケ屋で3時間ほど、練習、というか、リード削り。新しく巻いた3本と、やや前に巻いたけど、粗削りのまま放っておいた2本。

2本が、まぁまぁ副指揮の練習に使っても、損傷ないような感じだったので、残った時間を新しい3本の削りに時間を割く。

などとやっていたら、肝心の楽器の練習が少なくなり、最後、慌てて弟子のフィンガリングをさらった次第。

日曜日は合奏。弟子は、ゆっくりめのテンポで、音を確認しつつ演奏するような感じで、結構、あっという間に終わった感あり。余った時間は、すべて海に費やされた。かなり副指揮のコメントが長く、それも疲れたが、だからといって、第3楽章などは、吹く時間に充てられると、それも疲れる。というか、最後は結構、吹き詰めなのです。に対して、お隣のフルートさんは、どういうことでしょう。こっちが、吹き詰めで大変なのに、すごくヒマそうです。「ヒマそうだね?」と聞くと、「分けてもらいたい」と言ってました。

しかし、この合奏で使ったリードも、そのままでは、本番には使えません。

で、月曜日も、カラオケ屋で3時間ほど、リードと格闘。いちおう、最後の1時間くらいは、吹く練習しました。弟子も海も。練習したら練習した分だけ、指も舌も回るものです。

今週は、新年会の合間を縫って、2回はカラオケ屋に行けると思う。

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fredag 6. januar 2012

平日の練習

やっとリード巻きました。遅過ぎる・・・。

ちょっと乾燥の季節なので、早く削らないと・・・。

で、リード削るときは、音色のイメージをするためにCDをかけます。昨晩は、ロンドン・フィルLondon Philharmonic OrchestraのオネゲルのCD。

いやぁ、ロンドン響のその楽器には近年、良い奏者がいるのですが、ロンドンフィルは、やっぱちょっと・・・ですね。

先ず、夏の田園詩ですが、指揮者がよろしくないのか、いや、夏の田園詩に限らず、バーゼルの喜びもクリスマスカンタータも、いけいけどんどんで、どんどこ進むだけなのです。ロンドンの威勢の良いのはわかります。ああいう街ですから。いけいけどんどんで、聴衆は満足するのでしょう、プロムスの歓声を聞けばわかるとおり。

しかし、どうでしょう、オネゲルはそういうものでしょうか?オネゲルが見つめているものがあると思うのです。何を見つめていてもいいのですが、見つめている姿が感じられればオネゲルファンは満足するというものです。

そういった点で、その楽器の奏者も、いけいけどんどんで、楽器の特性を前面に押し出し、朗々と、そして、いけいけどんどんで、どんどこ歌っています。

その統制のとれない歌で、何が聞いててひっかかるかというと、調性感ですね。ドレミファソラシドの役割と、音色の連携が取れていないというのが、大変、ひっかかります。

ま、あれですね。調整感を考慮して、かつ、自然に吹くというのは、大変、疲れるものです。その代表格がベートーベンですかね。

ベト7にしろ、第九にしろ、吹いてていや〜な気になるのは音程ですね。音程を和声の中にはめよう、はめようとして吹いていると、どんどん、演奏に負担がのしかかってきて、疲れちゃうわけですよ。

やっぱりこの楽器は、平均律ではなく、癖を持っているわけですから、その癖を外して、和声の中に入れよう、入れようとすると、どんどん疲労がかさんでくるわけです。目が吊り上り、眉をひそめたり、眉間に皺を寄せながら、吹く感じです。

たぶん、自分の音程が悪いからなのだと思うのですが。

オネゲルにしても、夏の田園詩とか、バーゼルの喜びとか、クリスマスカンタータに至っては、ディアトニックな音楽の代表だと思いますから、ドレミファソラシドがたくさん出てきて、さらに、それが、ディアトニックからそれほど遠くないところでの変化を受けて、また、ディアトニックから類推される不協和音の上で表現されているので、そのあたりがですね、やっぱ、音色のコントロールと絡んで欲しいと思うわけです。

というわけで、今日は違うCDを聞いて、リードを削ろう。そして、別のリードを巻こうw

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torsdag 5. januar 2012

年末年始の練習

弟子の製本をやっと終えました。譜めくりが実質、無理なところがあって、いろいろ切り貼りしたのです。

そうそう、高校のOBOGの新年会がありました。70人強が参加したという、大変、賑やかなものでした。3末にある演奏会が楽しみです。

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年末年始の練習

ハノンは、やっぱり右手と左手を揃えてもらわないと・・・。

ツェルニーは25番がまだ流暢に弾けないというのに、先生から26番の宿題が出たもよう。内声を弾く指の力を格段に抜いて、ppでトレモロしてくれないと。

バッハは、まだまだ三声のD-Dur、呈示部がなかなかつっかからずに弾けません。まだまだ展開部には進めない模様。

楽曲は、ちょっと中間部がイかれてきたような気がする。ちょっと、デフォルメが強くなってきたかも。しかし、よくまぁアルペジョが、まるでグリッサンドのように早く弾けること。

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