laurdag 31. mars 2012

終わった

今回、全体聞いた感じとして、推進力があって良かった。止まらない感じが良かった、音楽は止まらないものである。どこも表情をつけるところがない代わりに、止まらない良さがあった。

あと、特に、分別がなかったところも、悪くなかった。先週の演奏会は、分別のある指揮者が、何人かいたが、そうすると、無難にまとまってしまって、客席にアピールしようとするところが、無くなってしまったような気がする。

分別なくどんどん前に進むということは、観客に止まらぬ推進力を感じさせてくれるというところで、良かったと思う。

もちろん、ゆっくりで歌うところは、推進力だけではカバーしきれないから、それは今後の課題だろう。

本人はというと、良く、弓が動き、指も回っていたと思う。始めて1年で、よくやってるものだ。

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fredag 30. mars 2012

Chanson populaire avec variations pour orchestre d'harmonie 16世紀のシャンソンによる変奏曲

You tube であれこれ演奏聞いてます。

テンポの設定が緩かったり、演奏にもう一つキレが欲しいです。

どうやら、この曲をセンチメンタル、メランコリックに感じてるのが多いから、という気もします。

Balとしては、ルネサンス時代の庶民の生々しい生き様が感じられるっぽい方が好きです。歌詞を確認したら、かなり俗っぽいし。

郷愁に満ちたものより、現実がここにあるみたいな感じの演奏の方が好きかなぁ。

楽譜を見て思ったことは、ところどころに、二重斜線っていう、前後の音楽の区切りをつけるマークがあるんですよね。演奏としては、その前後で、音楽を切り替えて欲しいな、ってのはあるんですけど、あんまりこれを強調した演奏はないですね。

あと歌い方が、フレージングも日本っぽい演奏がときどきあって、せっかくなんだから、欧米化して欲しいな、と。

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måndag 26. mars 2012

終わった

今年も楽しくできました。

我がパートは、1st 3人、2nd 3人、CA 1人です。6月の現役演奏会では、CA 2人くらいにして欲しいですね。

ロデリンダは、面白かったです。久しぶりのヘンデルで、バロックを楽しみました。どんなときでも、積極的に、ヘンデルの音楽を演奏することが重要ですね。

朝鮮民謡は、あっという間に終わってしまいました。high-fが当たらなかったかも。昔は、長いと思ってた曲も、今となってみれば、案外、短いなと思います。コラールはやっぱり大変だけど。ブレスするところがきついからかも。

シャンソンは初めて吹きました。これはなかなか考えるところがたくさんありましたので、別稿で。

道化師も、なんかさらっと終わってしまって、この曲自体そうなんだけど。

どの曲にしても、音楽のエネルギーをもっともっと感じたかったな、というところです。

二部も同じ感じ。

アルメニアもそんな感じ。

ふるさともそんな感じ。例年より、音楽エネルギーが落ちてたかも。

1812年は、やっぱり指揮のエネルギーが高かったので、演奏もよかったかも。やっぱり、音楽エネルギーって大事です。

打上げは一次会の途中で、ワインを飲んだのがいけなかった。眠りかけたので、二次会に出ずに帰ってしまいました。

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måndag 12. mars 2012

チャイコフスキーとラフマニノフ

チャイコフスキーのイタリア奇想曲と、ラフマニノフの交響曲第2番の演奏会。アンコールは、眠りの森の美女のワルツ。

演奏の技術上の質、というのは、奏者の頭、からだの中に、どのくらい音楽が入っているかで変わる、ということを、大変、具体的に見た思いです。

眠りの森の美女のワルツの音質がどんなに良かったことでしょう。すべるような弦の音色、揃ったボウイング、管楽器と弦楽器の程よいバランス、聞いててとても心地よいものでした。

そうして、音楽をどんどん頭とからだに取り込めば、イタリア奇想曲もラフ2も、中高年が聞いても満足する精力的で濃厚な粘りのある音楽になっていたかもしれません。

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ボロディンSQ東京公演

ボロディンSQ聞きました。本番間際でチケット取ったので、いい席は残ってなくて、バルコニーの前から4番目。

曲目は、ブラ2SQと、シューマンのP5、アンコールはシューマンの第3楽章とアンダンテ・カンタービレ。

ボロディンSQ素晴らしい!プロを聞くたびに思うのですが、プロって、全然雑音がないなぁ、と。

弦楽器という楽器には、糸が張ってあって、その糸をこすると、びよ〜んという音でして、胴体が共鳴する仕組みの楽器であるということを、再々再認識させられました。

つまり、糸をこする音、または、こすれた音は、びよ〜んという音しかしなくて、それが増幅されたびよ〜んという音がするのです。

そこには、弦に弓をあてた音というのは全くなく、指が弦を触る音、指板を触る音も全くせず、びよ〜んという音以外の音はないのです。

これは、他の楽器にもあてはめるべきことなのでしょう。発音に関わる一切の音は必要なく、キーの音も何の音も、ただ必要なのは、楽器本体が共鳴する音だけだということです。

世界最高峰の音って素晴らしいです。

さらに、アンサンブルも凄いです。必要最小限のザッツで、あーして、入りもピチカートも表現もなんでもかんでも合ってしまうのです。これはどういうことでしょう?

最も圧巻だったのは、ブラームスの第2楽章の最終音です。ノンビブラートのディミュニュエンドの和音で終わるのですが、4人のボウイングや音量が、全く同じで、ハーディガーディを聞いているようでした。聞いているこちらとしては、この素晴らしい均衡がいつ崩れるかと冷や冷やで、息もできないほどでしたが、均衡を破られることは最後まで無かったのです。これはどういうことでしょう?

さて、次は、音響について。

やはり、バルコニー席というのは、音響としては、あまりよくありませんでした。直接音と間接音のバランスが4人4様になってしまうのです。楽器の表面が自分の方に向いている楽器は、直接音が良く聞こえ、そうでない楽器は、その斜め加減で聞こえ方が変わるのです。

そして、ピアノにいたっては、ほとんど間接音しか聞こえませんでした。そしてまた、ピアノの間接音というのは、ステージの後ろ半分を大きく覆いつくすような体積の響きを作り出すのです。まるで、ホールの音響構造が目に見えるかのようでした。

なので、ピアノの音がやけに大きく聞こえました。シューマンの第1楽章の展開部とか、第4楽章のfのところとか、弦が聞こえなくなってしまわないかと、手に汗握りながら聞いていました。でも、正面で聞いた方には、きっと、良いバランスだったのでしょう。京都公演の朝日新聞の評が良くて、やっぱり正面じゃないとね、と思いました。

バルコニー席から、原田さんの右手は良く見えました。手の甲の高さ、指の形も良くわかりました。弱音のときは、かなりの低位置で弾いていらっしゃって、音響のせいもあって、まるで、常に左のペダルを踏んでいるのではないかというようなヴェールのかかった音でした。

原田さんのシューベルト・チクルスの最後の室内楽も聞いてて思ったのですが(そのときは正面席)、弦楽器独奏、もしくは、二人に対し、それは見事な範囲の音量で演奏していらっしゃいましたから。

そして、次は、弦楽器とピアノという異なる楽器のアンサンブルについて。

一部、異種格闘技的な異なる次元に存在する音楽が出会ったと感じたところがないわけではありません。それは、弦楽器奏者の呼吸です。弦楽器にはアップボウとダウンボウがあるのに対して、ピアノの打鍵というのはダウンしかないということです。自分の場合、常に息を吐いて演奏するのですけど、あたかも、吸って音を出すような気分で音を出すことがあります。

そのことに特に気づいたのは、シューマンの第1楽章の途中のことなんですが、ピアノが何かの動機のアウフタクトでクレッシェンドして頂点を誘導する、というところが、たしか、呈示部と再現部であって、そう感じました。シューマン自身はピアノが弾けたわけですから、シューマンの感覚としては、どちらなのでしょうね。

最後に一つ、こういう生の演奏会に行って良かったなぁ、と思ったことを書いておこうと思うのですが、それは、シューマンの第二楽章の、第二クープレからロンドに戻るところなんです。そこが、シューマンの苦悩というのを、追体験したような気分になりました。こういうことを感じることが出来たのは、多分に、原田さんのプログラムノートが素晴らしかったからです。

やっぱり、生の演奏って、いいですね。

おまけとして、アンコールの感想をちょこっと。最後のアンコールは、チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレでした。中間部の第2バイオリンとビオラの伴奏が素晴らしい!合奏(複数の人で演奏すること)を聞く醍醐味というのは、こういうところにあります。

あと、第1バイオリンの歌に、してやられました。ロシア語がしゃべれる人がこの曲を演奏するとこうなる。この曲のメロディーはロシア語で歌うように出来ている、という当たり前のことに、またまた打ちのめされました。ロシア語で演奏すれば、装飾音符の演奏は、ごくごく自然にそうなるのです。そうして、はじめてそのメロディーが見えてくるのです。

こうして外国にお住まいの方が日本に来て演奏してくれるなんて、なんて素晴らしいことでしょう。飛行機に乗らずに、本物を味わうことができるのですから。原田さんを含めて。

素晴らしい演奏会でした。

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tysdag 28. februar 2012

週末の練習

ということで、この前の週末から、音階練習やアルペジオを「両手オクターブユニゾンのみ」から卒業してもらいました。10度、6度、3度を追加しました。とりあえず、C-Durとc-mollでやってもらっています。c-mollをやっているのは、ベートーヴェンの5番のソナタをやっているから。

しかし、ベートーヴェンのc-mollというのは重要ですよね。運命から離れるわけには行かないのです。そして、5番もそうですけど、c-mollというのは、第2主題あたりで、Es-Durに変わりますからね。ベートーヴェンのEs-Durというのも、英雄に始まり、離れるわけには行かないですから。

そうこうしてるまに、ツェルニー40番の第3部も残すところ、あと2曲になりました。なので、オクターブの音階からは卒業してもらってるところ。

バッハの3声はというと、先生のところでどういう演奏したからかわからないのだけれど、D-Durの丸をもらったので、a-mollに移行。しかし、D-Durは難しかったですね。こんなことで、難しいと言っているようでは、平均律は大変そうなのだけれど。

ベートーヴェンは、練習を見ている限り、ちっともベートーヴェンらしくありません。5番といえども、ベートーヴェンらしい力強さとか、しなやかさとか、いろいろあると思うんですけど、何のためにベートーヴェンを練習しているかわかりません。

バッハの3声だって、別に、指回しを練習しているのではなくて、声に通じた歌うことを練習していると思うのだけれど。調性のある音楽の進行の中で。和声が変わるときはどうとかこうとか、転調するときはどうとかこうとか。それを踏まえるからこそ、無調の音楽の扱い方がわかるようになると思うのですが。

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onsdag 15. februar 2012

ナタリー・デセイ/ドビュッシー歌曲集

そんなこんなの後、梅田のタワレコで、デセイ様のドビュッシーの新譜を聞いたのですが、これまた、ガツンとやられました。デセイ様、素晴らしい!もちろん、カッサールの伴奏もなかなか良いです。

デセイ様の何が素晴らしいかって、やっぱ、これぞフランス、これぞドビュッシー!っていう歌い方ですね。

1曲目の「星月夜」を、手元にあるCDのメストレのハープ伴奏によるダムラウの演奏と比較してみると、やっぱりダムラウはドイツ系だなと。

素人にも見分け易いのは、ハイトーンのAの維持の仕方とか、その持ってき方とかでしょうか。

それだけじゃないんですけど、デセイ様には、フランスで育まれたからこその歌い方があり、ドビュッシーファンを満足させてくれるというか、とにかく、素晴らしいです。

で、早速、このCD買ったのですが、このCDには、なんと、「小組曲」の「メヌエット」の原曲が入っていたのでした。「艶やかなる宴」という曲です。「小組曲」の「メヌエット」は、「艶やかなる宴」を下敷きにして、作曲されたのですね。

あと、わかったのですが、「小組曲」の各曲のタイトルは、ヴェルレーヌから取られているようで、それがこの曲の演奏のヒントとなっているのですね。

やっぱ歌曲って重要だなぁ。

さらにさらに、「月の光」も、いい曲だぁ!と思って、楽譜を確認したら、この曲は、♭6つではなく、♯6つなのです!ここで、問題となるのが、ドビュッシーは、どういうときに♯の多い曲を書いたか?♯が多いという調に、ドビュッシーは、どんな象徴を託していたのか、ということです。

♯が多いので思い出すのは、先ず、「金の魚」です。そして、次が、「海」の「波の戯れ」の冒頭直後の我が愛すべき楽器のハイトーンソロのところです。

こういうことをつらつら考えると、ベルガマスクの月の光は、やや銀色がかっていて、歌曲の月の光は、やや金色がかっているのかと。

やっぱ声楽家以外も、ちゃ〜んと歌曲っていうか、詞がついた曲を勉強しないとダメですね。

さて、デセイ様のCD。「ピエロ」という曲も、面白かったです。フランス民謡「月の光に」のメロディーに基づいているのでございます。

こういうのを見ちゃうと、「雨の庭」で「もう森へは行かない」が引用されているのも、民謡とどういう関係だったのか、ということを考えざるをえないわけです。

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イリーナ・メジューエワ・リサイタル

このところ、ドビュッシーづいている。きっかけは、先々週のメジューエワさんのコンサートである。メンデルスゾーン、ショパン、リストに続いて、ドビュッシーが演奏された。曲目は、ベルガマスク組曲と、喜びの島。

メジューエワさんが、両曲とも、いとも簡単に弾いていたので、あれ?そんなに簡単だったっけ?と思って、帰ってから弾いてみたけど、やっぱり難しかった。

メジューエワさんは、ドビュッシーをたんたんと弾いてらした。メジューエワさんは、コンサート中、マイクを持って、お話された。そのとき、ベルガマスク組曲は、古典への憧れを含んだ曲と解説されていた。そうして、メジューエワさんは、端正な世界を創り出していた。

ホールが東京文化の小ホールであり、かなり残響が長かったのだけれど、そんなホールを考慮してか、メジューエワさんのペダリングは、本当に少なかった。ほとんど踏んでいなかった。それでも、いわゆるドビュッシーの、聴衆が喜びそうな長めの音響の世界が繰り広げられた。

大変、興味深かったのは、月の光である。この曲では、残響の多いホールでも、さらにペダリングを駆使して、まるで、流れ星のように軌跡を描く音響世界が繰り広げられた。まるで、宇宙を眺めるプラネタリウムにいるような気分になった。これは、メジューエワさんの持つ人格のなせる業(わざ)である。

で、喜びの島はというと、淡々と、淀みなく、どんどん進み、あっけなく終わってしまったのだが、そこには、甘い甘い若い恋人たちの戯れというより、メジューエワさん自身の推進力、というものが感じられた。

で、演奏会が終わってみると、喜びの島ってやっぱいい曲だよなぁ、ドビュッシーはいいなぁ、という感覚が残ったのである。

ちなみに、この演奏会で、最も素晴らしい演奏だなと思ったのは、リストのコンソラシオン第3番でした。もう、出だしの音色から、メジューエワさんから溢れ出る気概を感じました!

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måndag 13. februar 2012

週末の練習

部内アンサンブル大会に、弦楽四重奏(全員初心者)で臨んだのだが、ほかの三人は硬直してしまったようだ。本人は、楽器を始めて10ヶ月の割には、先生についているおかげで良かったようで、部員からもらった講評では、約半分が、本人のパートが良かったというコメントだった。こういのが重なって、楽器を続けるという動機が生まれるのだと思う。

さて、鍵盤楽器の方はというと、ハノンは相変らず。

ツェルニーは、不規則連符の練習曲は、なあなあで終わりにさせられたようで、トレモロの予備練習と、オクターブの予備練習に入った。これが終わると、このあと、三度の音階練習と、交互片手のアルペジオの練習があって、それで40番の第三部は終了する。

そして、バッハの三声のA-Durの出来が良くない。ので、辛い練習を地道にこなさないといけない。特に、動機の解釈が問題である。フレージングがおかしい。やっぱり、鍵盤楽器奏者も、ボウイングを頭におきつつ弾くべきだと思う。

楽曲は、ベートーベンの第5番ハ短調のソナタ。よくよく見ると、やっぱりこの曲も単純ながら多声のところが面白いのであり、多声のところの弾き方に注意を要する。しかし、本人として弾いてて気持ちいいのは二声のところ。

練習の中で、本人にいろいろ注意するのは、「そこは、セカンドバイオリンとビオラにあたる内声がデカいんじゃない?」とか、「もっと、ビオラのパートも歌って!」とか、そういうこと。どうしてピアノをやっているかというと、音楽の基礎を習得しているのだから。

そして、もしピアノを演奏するなら、ピアノから、どんな作曲家のどんな曲のどんな場面で、どんな音色を出すか、または、どんな音響を作り出すかということを追究しつつ、作曲家と奏者の融合した唯一性の高い世界を創り出すことなのではないでしょうか?

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måndag 30. januar 2012

週末の音楽

本番が終わってから、楽器は吹いてないんだけどね。でも、音楽からは離れていないよね。実際、生活に関わる多くの音楽について、CD聞いたけど。

・プロコフィエフ 悪魔的暗示
・ドビュッシー 仮面
・リスト ルタンのロンド(グノームの踊り)
・シュトラウス 7つのヴェールの踊り
・シューベルト さすらい人幻想曲
・バッハ いかに汝を迎えん(クリスマス・オラトリオ第一部より)
・ビゼー アルルの女より終幕の情景

あとは、CD整理かな。収納が大分、散らかっていたので。

問題は、Bal's CDBへの入力が滞っていること。

そういえば、溜まっていた音楽関係の番組の録画も見たね。題名のない音楽会、新生チャイコフスキーコンクール、サイトウキネンオーケストラ。

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